創立100年周年記念誌


今年もゴールデンウイークに実家に帰った。
実家に帰ると必ず行くのが恒例である先祖のお墓参り。
お墓のあるお寺までの道のりは、たったの5分程度だ。

子供の頃は体も小さかったせいか、たった5分の道のりも
もっと長く感じていたように思う。
年齢を重ねると時間が経過が早くなるのもなんとなく頷ける。

村のお寺なので、いわゆる墓地という感じではないが、
木が生い茂った脇にぽつんと小さな先祖のお墓がある。
上部(天辺)に水をかけ、水鉢に花を生け、
香炉の硬くなった砂地をほぐして線香を立てる。
宗教心のようなものはないが、線香の香りはなぜか落ち着く。
準備が終わると、お墓の前にしゃがみ込んで手をあわせる。

その後は、柄杓とバケツを片付けて帰るだけなのであるが、
今年は、数年ぶりに本堂の中に入ってみることにした。

古くなった木製の階段をのぼり、敷き詰められた畳の奥に進むと
仏壇の手前にお賽銭箱があり、そこに小銭を投げ入れると
軽い乾いた音が私たち以外だれもいない本堂内に鳴り響く。

ふと、お賽銭箱の左手にある小机の上に目をやると1センチ程の
厚さだろうか、創立100周年記念誌があった。
さらによく見ると西尾市福地北部小学校と書いてある。
私の母校である。
思わず手にとってみると1906年(明治39)から2006年(平成18)までの
卒業時の集合写真が載っている。もちろん私も1974(昭和49)卒業生として
載っているが、小学校の頃から賢そうに見えないのは相変わらずである。
私の母や叔母等も載っているが、昔の面影もなく探すことは難しい。

記念誌の100年の軌跡と歩みを見てみるとなかなか興味深い。
1906年に幡豆郡福地尋常小学校として開校し、
1941年には、福地村国民学校と改称しその年に太平洋戦争が始まるのである。
その後、現在の西尾市福地北部小学校と改称されたのは、
太平洋戦争が終わってから9年後の1954年である。

今年は、戦後70年と言われているが、
戦争体験していない私にとっては遠い昔だと思っていた。
しかし、この100年の軌跡と歩みを見ていると、
戦後70年がそれほど遠い過去でないことを知る。
システム営業課/永井